COLONIZATION AAR 2

Jamestownの住民は、カラベル船がヨーロッパから移民を連れてくるまでの間、独力でこの町とともに生きていかねばなりませんでした。

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Jamestownは岬に建てられた辺鄙な土地にあったため、ヨーロッパ航路との接続は良好でしたが、つかえる陸地そのものが少なく、その陸地も、三分の二が先住民の土地でした。
そのため入植者たちは余った最後の土地を有効活用して食料を確保するべく、自由植民者free colonistからなる最初の二つのユニットのうち一つに道具toolsを持たせて労働者pioneerにし、タイルの森を切り開いて農地にするべく、郊外に送り出しました。
道具は二回の労働行動に必要な40単位だけ持たせ、あとの60単位はカラベル船に積んで、先住民に売却します。馬horseを50単位ヨーロッパで購入して斥候scoutをつくるためです。

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こうしてカラベル船は再びヨーロッパへと戻っていきました。
街にのこったたった一つの自由植民者は、市庁舎で自由の鐘liberaly bellを生産し、カラベル船を待ちます。

自由の鐘を鳴らし続けて15年、その間、労働者は郊外のタイルを農地に改善し、カラベルが連れてきた植民者は斥候として街を去っていきました。
1507年、カラベル船がJamestownに新規の入植者を連れてきた際、一人の「建国の父fouding father」が町の波止場に降り立ちました。
彼の名前をTomas Jeffasonと言います。

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ジェファソンはイングランド植民地最初期の移民の一人で*1、1507年にイングランド植民地に上陸後、すぐにニューイングランド総督の地位に就きました*2
ジェファソンの使命は、ニューイングランドの自由の鐘を増産させることでした。自由の鐘がふえれば、ほかの建国の父を招きやすくなるだけではなく、王党派市民Toryに対する独立派市民Rebelの比率を増やすことができ、町ごとの独立派の比率が閾値を超えれば生産性にブーストがかかります*3
そのため自由の鐘ははやいうちから鳴らしておくことが好ましく、ジェファソンは、ミヌイット*4やペン*5といった他の総督候補者を押しのけて、ニューイングランド最初の総督となったのでした。

(続く)

*1:嘘。

*2:大嘘。

*3:閾値はそれぞれ50%と100%に設定されています。

*4:先住民の土地を自由につかえる。

*5:移民がきやすくなる十字架clossの生産にボーナスがある。