CK3 AAR 聖イシュトヴァーンの宝冠 3

first crusader

「ぼくは夢を見ていた...。ラテンの教皇が十字架の軍隊を率いて、ぼくの領土を行軍していく...。」

f:id:oldmole1984:20200905080840j:plain

僅か8歳で家督を継いだカプロンKaplonの摂政時代。
916年、ラテンの教皇が十字軍を発令した。目的は聖地エルサレム
このとき建国されたエルサレム王国は、ながらくキリスト教徒がアジアに突き立てた剣として、中東世界に残存することになります。

Regent Kuszan

僅か8歳で家督を継いだカプロンは、病弱なところのある少年でした。

f:id:oldmole1984:20200905080855j:plain

「ある日、叔父が挑戦してきた。」

カプロンの叔父、クスザーンKuszanは熟練した騎馬戦士でした。彼は戦場で片目をなくしたことが自慢でした。
彼は、幼少のカプロンでは政治を担いきれないと厳しく主張し、カプロンを大首長の座から降ろし、自分が大首長になってしまいました。

f:id:oldmole1984:20200905080911j:plain

しかしクスザーンの治世はとくに何事もなく過ぎ去ります。
931年、元服したカプロンは"A Challenger"のイベントでクスザーンに復位を迫り、これを了承させます。
カプロンは再びハンガリーの大首長の座に就いたのです。

KAPLON and its WAR

カプロンは元服して、星三つの外交官になっていました。
カプロンは摂政時代の経験から、大首長としての権威を確立することの重要性を痛感していました。
そのため、隣国に対して盛んに出兵を行いましたが、これが躓きの石でした。

f:id:oldmole1984:20200905081511j:plain

元摂政クスザーンは兄弟たちと語らって外患を誘致し、自身も内憂をおこしてハンガリー大首長の座を窺ってきたのです。
クスザーンはトランシルヴァニア公に支援されていました。こうして934年、ハンガリーは内乱の時代に突入しました。

内乱は4年継続し、最終的な勝利者となったのはカプランでした。
カプロンは元摂政クスザーンやトランシルヴァニア公を捕虜としてとって幽閉し、二度目の反乱の芽を摘みます。

945年にはまた別の問題がもちあがります。
継承関係がこじれてハンガリー首長国の一部がとなりの王国、モルダヴィアを継承しました。
王国級を継承したので当然独立します。モルダヴィア王国です。

f:id:oldmole1984:20200905081050j:plain

領土を大きく失陥したカプロンは、臣従強制のCBによる宣戦を検討しますが、威信が足りないため実行できません。
952年にはハンガリーモルダヴィアのあいだで国境紛争がおこり、これはハンガリーが勝利しますが、しかし一つや二つのプロヴィンスを得たところで問題の根本的な解決にはなっていません。

その後も960年代までカプロンは幾多の戦争を経験します。
多くの戦争は勝利、もしくは白紙和平におわりましたが、この間、モルダヴィアのほかに白ロシアwhite russeの勢力も浸透してきて、カプロンは対応に躍起になっていました。

f:id:oldmole1984:20200905081156j:plain

966年のカプロンの肖像です。
彼はこの年、生涯最後の遠征を敢行しました。
長年貯蓄してきた威信を吐き出して、モルダヴィアに対して臣従強制CBによる戦争を敢行したのです。

f:id:oldmole1984:20200905081416j:plain

この戦争に勝利し、カプロンは宿敵モルダヴィアを併合しました。
こののち971年、カプロンは死去します。57歳でした。

カプロンの人生は動乱と戦乱によって揺れていましたが、結果的に彼は王位に復し、王国も再統一したので、やはり名君と言えるのではないでしょうか。

(続く)