PRECIPICE Multi AAR 3-4 On Whitehouse.

TURN9の早朝、私はその日、極秘でパキスタンを訪問していた。
パキスタンはサウスアメリカの親米国家で、アメリカと同盟を締結しており、往年の印パ戦争以来、社会主義インドと対立していた。ここが大西洋から地中海を経てインド洋へと延びるアメリカの勢力圏の最東端であり、パキスタンはアジアにおけるアメリカの影響力の限界点を示していた。そう、この日までは。
私の目的は中印極秘訪問にあった。共産革命を経た中国と社会主義憲法を戴くインドは、それぞれソ連の友好国であり、アメリカとは関係性が薄かった。だがそれも昨日までのことだ。TURN2においてアメリカは中印と貿易協定を結んでおり、それがこのターンで満期をむかえる。私の極秘訪問の目的は、これによって中国とインドを中立化させることにあった。

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中国の周恩来とインドのネルーはいずれも当代屈指の社会主義者であるが、同時に現実主義者であり、両国がとるべき世界史上の地政学的位置について私と見解を共有していた。つまり中国は東の大国としてソ連の脅威に対抗する地政学的位置にあり、インドは南の大国としてソ連から自立して世界の農業生産のヘゲモニーを握れる立場にあった。そしてどちらも核保有国nuclear powerであり、アメリカとソ連だけのスーパーパワーの二極世界を多極化してくれる存在であった。
だが地政学的要請だけで外交は動くものではない。指導者同士が信頼し、お互いの利害を理解し、緊密に連携しあうことなくして、外交上の立場変更は自動的に生まれるものではない。私の極秘訪問はそのために行われる。
周恩来は、私はおよそ数十年に渡る公的人物としての生活のなかで、これほどひとの心を掴む人物にあったことがなかった。柔和で、饒舌で、育ちが良く、理想に燃える共産主義者だったが、同時に冷徹な現実主義者でもあった。当時毛沢東大躍進政策の失敗で失脚同然の状態にあり、この周恩来が中国における集団指導体制の枢要な地位を占めていた。周恩来は言った。「キッシンジャー大人、私はあなたと中国の地政学的立場についての見解を共有しますよ」。私は韓国に駐留する在韓米軍が撤退すれば、日本が再び軍事大国化して中国に牙をむくということを指摘することも忘れなかった。周恩来は口唇に笑みをたたえて同意した。
ネルーは峻厳で、バラモン出身らしく自尊心が高く、知的で、知性と情熱を調和させた人格をもっていた。ネルーは象徴的指導者だったガンジーが暗殺される前から長らくインドの指導的地位についており、国民会議派を選挙で連勝させてこの十億のインド人たちを民主主義的に統治していた。「私たちの懸案事項はたくさんあります。パキスタンとの停戦を実効あるものとしたい。中国との国境紛争を解決したい。インド共産党の脅威から国民会議派の与党的地位をまもりたい。そして最後に、ソ連の脅威から自立したい」。私も同感だった。
中国とインドは東方の巨大国家で、この両国をソ連の属国ではなく、中立化させることは、自由主義陣営にとって莫大な利益をもたらすものだった。まず第一に、中国はイーストアジアの要であり、インドはサウスアジアの鼎である。ここが中立化すると、ソ連としては両方のエリアの寡占を事実上あきらめなければならなくなる。さらに中国は原材料と工業製品の巨大な生産地で、インドはソ連が不足している農業生産の一大中心地だった。中印がソ連の属国とならない、ということは、資源面で私たち自由陣営が共産陣営に圧倒的なアドバンテージを持つことを意味する。

TURN9に行われた私の中国極秘訪問、そしてニクソン大統領の中国公式訪問以来、数ターンに渡って中国とインドの中立化は維持された。しかし私は侮っていた。アメリカにとって中国とインドは上記の理由で中立化が必要だった。だが、それは裏を返せば、ソ連にとっても中国とインドの属国化が上記の理由で絶対に必要だったのだ。
ブレジネフ体制はTURN9の貿易協定の強力さに若干驚き、狼狽したようであったが、すぐに気を取り直して反撃にでてきた。TURN12におけるグロムイコの中国訪問、インド訪問がそれである。中国では陰に陽に過激派の毛沢東が支援され、大革命で失脚していた毛は権力を取り戻して穏健派の周恩来を蟄居させた。文化大革命である。インドではインドとパキスタンとの国境で紛争がおこり、親米国家パキスタンと敵対するインドの態度がたちまち硬化し、インドは後ろ盾としてソ連を再びもとめた。この紛争の裏側にKGBの暗躍があることは明らかであった。

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かくしてTURN12には一旦中立化した中国とインドは再びソ連の外交行動によってソ連の友好国と化した。だが私はまだ楽観していた。友好国は友好国であって属国ではない。アメリカと中印との第二次貿易協定は生きている。だが、今度はグロムイコは中印に資源援助を約束し、ソ連と中印はアメリカに対抗した貿易協定を結んでいた。中国とインドを巡る綱引きは明らかにアメリカ側に不利に推移しつつあった。

ソ連が中国とインドに外交攻勢をかけているあいだ、アメリカは何をしていたのか? 私は中国とインドを中立化させたとき、間髪入れずに外交攻勢をかけて中印を親米化させることを説いたのだが、ニクソン大統領はそれを受け入れなかった。ニクソンが傾注したのは宇宙開発である。これまでアメリカはターンごとに国家予算を宇宙開発に割いてきた。ソ連側は初期のアドバンテージを生かして*1アメリカが宇宙開発をするごとに同じ予算を宇宙開発に注ぎこみ、宇宙開発分野におけるソ連のリードを守ってきた。だがまずソ連が、ついでアメリカがTURN9に人工衛星を打ち上げると、つづく月面着陸競争は早い者勝ちのボーナスVPぶんどり競争となっていた。ソ連アメリカも40%ほど宇宙開発を進捗させたとき、ニクソンはついに決断させた。TURN15の国家予算を、すべて、宇宙開発競争に注ぎ込んだのである。

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かくしてアメリカは最初の月面に人類を着陸させた国となった。ボーナスVP2が得られ、アメリカはソ連との競争に優位に立つことになった。

(続く)

*1:ソ連は最初から20%の宇宙開発のアドバンテージがある。